2017年6月15日木曜日

経済が与えられました

有働 克己

祈りにより支えられた経済の祝福

私は息子の白血病を通して神様が、癒し主であり、奇跡を起こされることを心から信じていましたが、経済が支えられる、献金が与えられると言う事に関しては眉唾的な思いがありました。

 そんな私が「神様に不可能は何一つ無い」と神様自身が確信させて下さった、経済の祝福の証を分かち合いたいと思います。

私は長年に渡り書道を教えてきましたが、数年前から徐々に右の手が動きにくくなり、とうとう指を曲げる事が出来なくなってしまいました。病院に行き、診察を受けると「手根幹症候群」と診断され、手術が必要であるとの説明を受けました。手術は日帰りで出来る比較的簡単な手術の為、特別不安も心配もなかったのですが、年金暮らしの私にとって手術費用は思いがけない出費であり、どうやって支払おうかとお金の事が大きな不安となりました。
病院の受付に相談するも手術当日窓口で対応しますと解決にはなりませんでした。
教会では よく 祈りましょうとか、祈りますね とか、祈り 祈り という言葉を聞きました。それで私も祈ってみようと思いました。そして手術日までの3日間 必死で「手術費用が与えられるように」神様に祈りました。

するとどうでしょう。思いがけない所から、必要なお金が与えられたのです。
以前 中古のボーリングボールを譲ってもらったのですが、譲ってくれた飲み友達が(私はもうお酒は飲んでいません)「手の手術をするのなら、もうこれは使えないだろう」と言って譲ってもらった時と同額のお金をテーブルの上に置き ボーリングボールを持って帰えったのです。これにはびっくりです。私はその友達に頼んでもいませんし、ましてや何カ月前かに一緒にお酒を飲んで大喧嘩をし、仲たがいの状態だったのですから。

私は神様をあがめました。神様は私の必死の祈りを聞いて下さり、答えて下さったのです。私は神様がどのような事に於いても、たとえお金、経済であっても、祈り求める時、神様にとって何一つ不可能な事はなく、神様の方法で助けてくださる方であることを体験しました。神様を誉めたたえます。




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